2018年 11月 16日
11月16日(金):「1984年」と「現代監視社会」 |
今週の日経ビジネスにおける特集は「ここまで来た監視社会 勃興する第2のGAFA」でした。
監視社会としてすぐに想起される国や事例が増えてきた点は間違いのないことで、世界がそうした方向に向かっているのは確かだと言えますね。
これはかつてジョージ・オーウェルが「1984年」のなかで描いた世界が現実のものになろうとしています。
ビックブラザーというべき存在がいて、さらにはそれを可能にするだけのテクノロジーが整ってきたことが大きな要因だと思います。
文学は現実を模倣しますが、現実もまた文学を模倣するものです。
私たちの身の回りではある国ほどあからさまな情報統制、思考統制はなされていませんが、個人レベルでいえば自分のやっていることが他者に補足されているのは疑いようのないことです。
それを端的に示す例は昨日にTSUTAYAが公式に謝罪するにいたった店舗のアルバイトスタッフによるSNSでの不適切投稿の件ですね。
ご存知の方も多いでしょうが、こちらはTSUTAYAフランチャイズ店舗のスタッフが、自分のファンである人気グループに対して悪口を言っていた利用者に腹を立て、SNSで暴言を吐くにいたったものです。
その内容は個人情報を取り扱う仕事であることから「名前から性癖まで暴露可能だ」と脅迫めいたツイートをし、それがネット上で炎上をしました。
これはアルバイトスタッフ個人が倫理観を欠いていたことで批判を浴びる格好になりましたが、一方で「それが可能である状況」は依然として存在しているわけです。
個人情報、その動向を握られている、といった点は紛れもない事実で今回はそれを怨恨の矛先として逸脱した使い方をしようとしたのですが、フェイスブックのようにそれを事業活動に組み込んで巧妙に収益化している面もある通りでしょう。
今後は日本でも無人レジや決済のキャッシュレス化が進んでいきますが、このように決済のデジタル化が進めば、それはイコールで個人の購買情報がデータとして残っていくことになります。
そのほか位置情報による行動エリアやパターン把握、交友関係、興味関心の対象、購買履歴、そして監視カメラによる実画像、これらの情報を一手に握っていれば、個人を丸裸にできます。
一つひとつの情報は断片的であったとしても、それをつなぎ合わせていきさえすれば、個人像を明らかに浮かび上がらせることは可能です。
デジタル社会、ネットワーク化された世界と無防備につながっていれば、日常生活をしているだけで個人が露わになっていきます。
そうなると自分で意思決定しているようでいながら、実は他者から意図をもって誘導をされたり、知らないうちに絡め取られてしまう、といったことにもなるでしょう。
「1984年」では絶対的な存在がいての監視社会ですが、現代のそれは至るところに第三者の目や耳があるという意味でそれは大きな違いであり、より深刻かもしれません。
それだけに、そこで無自覚であるのは危険だと思うし、必要以上にネットワークとつながり続けない、といったことは考えるべきだろうと感じています。
公的な存在、民間企業、こうした何者かに補足されない生き方というのは、これから留意すべきひとつのテーマだと思っています。
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by biz-365
| 2018-11-16 17:32
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