2018年 01月 26日
1月26日(金):意味の含有量を高めること |
昨日は社内における論文について触れましたが、本日はこの続きです。
ブログの中では私からのフィードバックの一例として「論理の飛躍がないこと」をキーワードのひとつに挙げて説明をした旨に触れました。
この点は論文をはじめとしてプレゼンテーションや問題解決思考など様々なアウトプットの場に共通することです。
論理が飛躍しているというのは、前の主張とその後の主張につながりがなく断絶が生じている状態を指しています。
関係性が明確に示されていないとか、前提条件の定義がなされないままに話が進んでいくとか、そういった点ですね。
社内でもよく言うことですが、自分のアタマのなかだけで分かっていてもダメで、論文や会議など相手がいる場合には読み手・聞き手のアタマを意識しながら論理に断絶が生じないように、話を組み立てていく必要があります。
論文などはそうした文字通り、そうした論理を鍛えるには格好の場だと言えるでしょう。
さて、そのほかのフィードバックでキーワードに挙げたものを紹介すると、それは「意味の含有量を高めること」です。
私たちが行っている論文というのは文字数として1,200字前後という制約があります。
何らかのテーマに対して、その背景の説明から始めて自分がフォーカスすべき論点の定義、そして現象の本質的な問題を炙り出しながら、自分が考える解決策などを示そうとすると、あっという間に1,200字へ達してしまいます。
それだけに限られた文字数のなかに込める意味の含有量を増やす必要があります。
この対極にあるのは文章として一定の文字数があるけれど、それがダラダラと綴られたものになっていて、要約すればほんの数行で終わってしまうような意味合いの乏しいものですね。
これは文章だけに限ったことではなく、人に対して話をする場面でも同じことが言えますね。
話していることは長いけれど言わんとしていることは寂しい、という状態です。
このような状態に陥らないようにするためには、限られた文字数に込める意味の含有量を増やし、そこで読み手により多くを伝えるための日頃からの訓練が必要になってきます。
そのための訓練としては一度自分なりに文章をアウトプットしてみた後の推敲で、あまり意味を含まない表現、文字を取り除いてスリムにしていき、さらに意味合いを補う言葉を加える、などといったことをしていくと一文における意味の含有量を高めることができるでしょう。
その他、アウトプットの質というのは自分が触れてきた文章の量や質と比例するところは確実にあります。
それだけに短い文章ながらもそこに多くが盛り込まれた文章に触れる機会を増やすこともひとつだと思います。
フィードバックからの社員とのやりとりのなかでは、古書・古典に触れるといった話も出てきましたね。
昔の文章は非常に簡潔にして、含蓄のあるものが多いのが特色です。
先般には私も昭和3年に書かれた書籍を読んだのですが、短い文章のなかに選び抜かれた言葉が並び、その深さや表現の豊かさに魅了された旨なんかも伝えました。
古い文章にはそうした利点もあるので、時間の許す範囲でそうしたものを手にとってみるのも有益だと思います。
社内の日常のコミュニケーションで「論理の飛躍がない」とか「意味の含有量を高める」、などといったやり取りが飛び交うフィットネスクラブの会社はおそらく稀でしょう。
これらは日常の仕事には直結をするものではないだろうし、その意味合いを介すこともできないかもしれません。
でも「人間を創る」という意味では、私はこうした地道な取り組みが不可欠だと思っています。
なぜなら私たちはトレーナーである前にひとりの人間であるし、「人が大事」だと言うならば、そうしたことも当然ながらに突き詰めていく必要があるからです。
こうしたやり取りや取り組みの中から1人でも、2人でも何かを感じ取ってくれる人間がいればそれでOKです。
人間を創るというのは簡単ではないし、急いでできることでもないから、そこに焦りもありません。
時間をかけてゆっくりとやっていければ良いと思っています。
by biz-365
| 2018-01-26 21:22
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