2018年 01月 09日
1月9日(火):オタクの時間、その④ |
誰からも頼まれてもいませんが引き続き、勝手ながらにオタク的要素の第4弾として私の内面世界を形作るものに触れていきます。
さて、読書からサッカー、そしてガンダムと話を続けてきましたが、本日は「三国志」にいってみましょうかね。
まず広義では歴史が好きだし、何かを考えたり調べたりする際にも歴史的な観点や考察は大事にしています。
社内の小川くんとは歴史好きという共通項があるので大阪城や姫路城など世界遺産にもなっている城をまわったし、赤穂浪士で有名な赤穂へ行くなど男二人旅を楽しんだりもしました。
最初に大河ドラマ全編を見たのは真田広之が足利尊氏役を演じていた「太平記」で、私はたしか小学校の高学年でしたが、その頃にはすっかり歴史に興味関心を抱くようになっていたと思います。
歴史は自分たちが辿ってきた過去でありながら、自分が実際にその世界に身を置いたことがないから当然ながらにそういうことがあったのだという実感は伴いません。
どこか別な世界、パラレルな状況の物語のようにも感じたし、その歴史というものを誰が見て、伝えて、どうやって今日にまで残してきたのか、といったことが当時は不思議でなりませんでした。
そんなところが私を歴史への興味にいざなってくれたのかもしれません。
そうした中で私に非常に多くの示唆を与えてくれたものが三国志です。
私が最初に三国志に触れたのは小学校の中学年から高学年になるぐらいの頃でしょうかね。
きっかけは誰かに横山光輝の三国志をもらったのだと記憶していますが、そこからどハマりしました。
最初は関羽や張飛といった豪傑の痛快なまでの強さや義を重んじて立ち上がる志ある男たちに惹かれたことを良く覚えています。
そうしたところから三国志を読み進めていくと、非常に多くの事が分かってくるわけです。
例えば国の興亡、栄枯盛衰ですね。
作中では様々な国が出てきますが、そのなかでは多くの国が興り、同時に幾つもの国が滅んでいきます。
学校で習う歴史年表からすると取り上げられもしない小さな出来事ですが、長い歴史のなかにはそうしたものが無数に埋まっていることが肌で感じられます。
そして民なき国というのが存在しないように、そこには常に民衆の存在があって、戦いに翻弄されて人々がいたことを目にします。
そうした民衆が望んでいることは平安な世の中、贅沢を望むでもなくただ落ち着いた暮らしであり、そうしたものがいつの時代も、どこの地域でも希求され続けているのだということが分かります。
そしてどうすればそうした世の中が実現されるのか、自然と治世というものについて考えるようにはなるものです。
このような治世と不可分なものが為政者の存在、リーダーとしての人の在り方ですね。
三国志のなかには国を治める領主は山ほど出てきますが暗君や暴君もたくさんで、それらはみな滅んでいきます。
一方で戦いに負けるようなことがあっても、家臣や民衆が離れることのない主君がいます。
三国志を読んでいれば子供ながらにそのことは認識できるものです。
典型的な駄目パターンは3つで、「酒と女におぼれる」、「私腹を肥やすために民に重税を課す」、「家臣をぞんざいに扱う」ですね。
これらに該当するとそこにつけ込まれたり、内部的な反乱が起きるなどして、国が内側から滅んでいきます。
一方で外敵に敗れて国が滅びる場合は「相手を過小評価して侮る」、「日頃の鍛錬、規律に欠ける」、そして「周辺国との良好な関係がなく孤立している」ケースの3つです。
客観視ができずに相手を過小評価して敗戦するのは典型例だし、戦慣れしていない弱い軍隊ではいざという時に勝負にならず、危機に瀕して共同戦線を張ったり、救いの手を差し伸べてくれる周辺国がなければ、それもまた滅亡のリスクを高めます。
裏を返せばこれらと真逆をいくことが良きリーダー、生き残りへの道だと言えます。
具体的には「為政者こそが節度ある日々を送り」、「民のために善政を敷いて」、「家臣の働きに厚く報いて君臣の交わりを深くする」ことです。
同時に戦いにあっては「相手と自分の状況を冷静に見つめて最善を練り」、「平時の危機感のもとに日頃から鍛錬を積んで規律を養い」、「周辺との良好な協調関係を維持しておく」といった点ですね。
これはリーダー論、組織論として、そのまま仕事の世界にも置き換えることができます。
三国志を通じてこういった事柄を10代のうちから図らずも学ぶことができたのは、いまにして思えば幸いだったと言えますね。
その他、三国志はその時代を舞台に生まれた故事成語も多く、それを話の経緯と共に知ることができます。
「三顧の礼」や「水魚の交わり」、「泣いて馬謖を斬る」などは良く知られたものでしょうし、「白眉」や「鶏肋」、「士、三日あわざれば刮目して相対す」なども、三国志の中から出てきたものです。
三国志には様々な楽しみ方があって「蜀」の国の側から見た「三国志演義」を読むのも良いし、一方で「魏」の側から見た「正史」で読み進めてみる、双方を対比してみるのも面白いですね。
また三国志は関連のマンガも数多く描かれているから、そこを入口にしてみるのも良いでしょう。
私の場合はやっぱり横山光輝の三国志の印象が強過ぎて、年齢を重ねてから吉川英治の小説「三国志」を読んだときにも、アタマに浮かぶのは横山光輝のあの絵でした(笑)
あとはゲームでも三国志関連はたくさんありますね。
私がはじめて三国志関連のゲームに触れたのはアーケード版の「天地を喰らう」でした。
たしか小6ぐらいだったと思いますが、今となっては懐かしい横スクロールのゲームで、よく趙雲を使いながら遊んでいました。
私と同世代でゲーム好きな方は「敵将、李典 討ち取ったり~!」というフレーズが結構、アタマに残っているのではないかと思います。
その後はプレイステーションでの「三国無双」に流れていくのがお決まりのパターンではないでしょうか。
今日も長々と書き連ねてしまいましたが、私の内面世界を形作ってきたひとつ「三国志」の話はこのあたりにしておきます。
by biz-365
| 2018-01-09 18:50
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