2017年 06月 21日
6月21日(水):「食」と「市場原理」 |
私自身が「超健康」に向けて、このところは食を中心にした生活全般を見直している点は先般にも記した通りです。
そのなかで改めて思うことは人が生きていくうえで不可欠なインフラ要素については、市場原理に組み込まれ過ぎない方がよいな、ということです。
社会インフラということでいえば、それは交通機関や通信網、エネルギー関連、そして自然などといったことが挙げられると思います。
これら社会インフラとまではいかないけれど、生きていくうえで不可欠なものには食や医療といったソフト面でのインフラもあります。
特に最近になって改めて思うのは、このソフト面のインフラのひとつである食の分野ですね。
市場原理主義におけるモノサシが何かといえば、それは「売れる」か「売れないか」です。
この場合、それが買い手にとって「良いもの」であるか、「悪いものであるか」はまったく関係ありません。
だから「売れる」ものが「売り手にとっての良いもの」となります。
仮にそれが「買い手にとって悪いものであっても」です。
ここに根本的なミスマッチが生まれてきやすくなりますね。
もっとも市場での取引をしていれば分かりやすい粗悪品は誰も買いたいとは思わないため、それが選ばれなくなっていきますから、市場取引を通じて買い手にとってあからさまに悪いものは取り除かれていく流れは生まれます。
しかしながら、パッと見た時点でそれが普通の品であるのか、粗悪品であるのかの判断がつき難い商品であった場合はどうでしょうか。
また良い、悪いの判断するために一定の知識がベースにないと、その判断がつかないものだとしたらどうでしょうか。
その場合は市場からパージされることなく、売り手にとって利益になる良い商品がそこで幅を利かせることにはなりますね。
これについては以前にブログで取り上げたトランス脂肪酸を含むパンスプレッドがヒット商品になっている状況を見るまでもありません。
食品の場合は健康上でマイナスになるものが含まれていても、一夜でどうにかなるほど劇的な変化は起きません。
ただ、一定期間にわたって継続的に摂取を続ければ間違いなくマイナス影響を及ぼすものはあります。
でも、これらとそうでない品を外見的に判断することは難しいため、買い手がそれを選び出すのは困難だし、その明確な判断基準を持ち合わせている人もマーケット全体で見れば少数でしょう。
その結果として市場原理主義のなかに食が組み込まれ過ぎたことで現在、小売店の棚に並ぶものの多くは売り手にとっての良いものになりつつある状況ですね。
食品だったものが商品になり、今は生産プロセスを見ても、それが工業製品化している状態だと言えます。
生きていくうえで根源的な要素が過剰なまでに市場原理に組み込まれると、それは本来のあるべき姿から離れていってしまう面が多分にあります。
このあたりは今後の社会、未来を考えるうえでは一考すべき点だと思います。
by biz-365
| 2017-06-21 19:18
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