2017年 04月 22日
4月22日(土):他流試合ができるように |
本日は内輪の話を少しばかり。
この2日間は自社の社員が社内の他店舗へ研修に来ていました。
それに関する全体の所感としては様々な意味合いで非常に有意義な時間であったと思いますね。
特に受け入れ側の店舗では伝えるべきことをしっかりと伝えてくれたな、と感じます。
本来の主旨である業務的な内容はもちろんですが、それ以外にも仕事人としての姿勢や人間的な成長についても言及をしてくれましたからね。
伝える側、指導する側としての責任をしっかりと自覚してくれていたと思います。
もちろん2日間という短い時間なので、その期間だけで劇的に何かが変わることはありませんが、変化を生むきっかけにはなったでしょう。
また、研修に来た社員本人がもっとも刺激を受けたのは言うまでもありません。
前述したような本来の業務的な把握、習熟だけに留まらず、指摘を受けた事柄が多々あったはずです。
そうなった理由のひとつは日常の外に出ているからです。
日々のクラブ運営というのは週次や日次でのやるべきことは良くも悪くも一定のルーティン化がなされています。
同じクラブに一定期間以上いれば、日常の仕事は特段に何かを強く意識せずとも、それらをこなしていくことは難しくありません。
やるべきことに大きな変化がなく、かつ求められる要件も同じであれば尚更ですね。
その一方でクラブのビジネスモデルが全く異なり、かつトレーナーとして提供すべきこと、意識すべきことも変わってくると、これまでの日常では対応できない部分が生じてきます。
お客さまも自分が普段身を置いているクラブで関係性のある方々ではなく、はじめてそこでお会いしてゼロから人間関係を作らなければならない状況だから、この面でもごまかしがききません。
その他、こうしてクラブを離れて他店舗へ研修に来るまでの間には様々なやりとりや準備すべき事柄もあったわけですが、それもまた日常での業務とは異なるものだったりするわけです。
そうした非日常での一連だと、日常では覆い隠されて目につきにくかった未熟な箇所が露見しやすくなります。
そのことは確実に当人が自分の至らない点に目を向けるきっかけにはなったでしょう。
このあたりは日常の外へ出ていくことのひとつの効用ではあります。
ただ、だから日常の外へ出る機会を増やしたほうが良い、という話だけで終わることはできませんね。
なぜ日常から離れた時に未熟な箇所が露わになるのかといえば、日常が甘いものになっているからです。
そこでの要求水準が高かったり、やるべきことの基本が高いレベルで徹底されていれば、ちょっと非日常の他流試合になったところで何の問題もなく対応ができます。
自己満足の内弁慶にならず、他流試合をバンバンやってもそこで通用するような日常を意識していくことが何よりも大切です。
この2日間をより有意義なものにするためには、そうした点を意識していってほしいと思います。
この2日間は自社の社員が社内の他店舗へ研修に来ていました。
それに関する全体の所感としては様々な意味合いで非常に有意義な時間であったと思いますね。
特に受け入れ側の店舗では伝えるべきことをしっかりと伝えてくれたな、と感じます。
本来の主旨である業務的な内容はもちろんですが、それ以外にも仕事人としての姿勢や人間的な成長についても言及をしてくれましたからね。
伝える側、指導する側としての責任をしっかりと自覚してくれていたと思います。
もちろん2日間という短い時間なので、その期間だけで劇的に何かが変わることはありませんが、変化を生むきっかけにはなったでしょう。
また、研修に来た社員本人がもっとも刺激を受けたのは言うまでもありません。
前述したような本来の業務的な把握、習熟だけに留まらず、指摘を受けた事柄が多々あったはずです。
そうなった理由のひとつは日常の外に出ているからです。
日々のクラブ運営というのは週次や日次でのやるべきことは良くも悪くも一定のルーティン化がなされています。
同じクラブに一定期間以上いれば、日常の仕事は特段に何かを強く意識せずとも、それらをこなしていくことは難しくありません。
やるべきことに大きな変化がなく、かつ求められる要件も同じであれば尚更ですね。
その一方でクラブのビジネスモデルが全く異なり、かつトレーナーとして提供すべきこと、意識すべきことも変わってくると、これまでの日常では対応できない部分が生じてきます。
お客さまも自分が普段身を置いているクラブで関係性のある方々ではなく、はじめてそこでお会いしてゼロから人間関係を作らなければならない状況だから、この面でもごまかしがききません。
その他、こうしてクラブを離れて他店舗へ研修に来るまでの間には様々なやりとりや準備すべき事柄もあったわけですが、それもまた日常での業務とは異なるものだったりするわけです。
そうした非日常での一連だと、日常では覆い隠されて目につきにくかった未熟な箇所が露見しやすくなります。
そのことは確実に当人が自分の至らない点に目を向けるきっかけにはなったでしょう。
このあたりは日常の外へ出ていくことのひとつの効用ではあります。
ただ、だから日常の外へ出る機会を増やしたほうが良い、という話だけで終わることはできませんね。
なぜ日常から離れた時に未熟な箇所が露わになるのかといえば、日常が甘いものになっているからです。
そこでの要求水準が高かったり、やるべきことの基本が高いレベルで徹底されていれば、ちょっと非日常の他流試合になったところで何の問題もなく対応ができます。
自己満足の内弁慶にならず、他流試合をバンバンやってもそこで通用するような日常を意識していくことが何よりも大切です。
この2日間をより有意義なものにするためには、そうした点を意識していってほしいと思います。
by biz-365
| 2017-04-22 18:03
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