2016年 09月 12日
9月12日(月):閉塞を打破する狂気 |
昨日には「1人の存在がチームを変える」と題したブログを記しました。
そこではサッカーのJリーグで18試合も勝利から見放されていた名古屋グランパスに勝利をもたらした立役者でもある闘利王選手に触れたと思います。
闘利王選手の勝利に対する貪欲さ、戦う姿勢、強烈な自己主張とリーダーシップには卓越したものがあります。
実際にグランドに立つ1人が変わっただけで、チームに変化をもたらせるわけですから、これはそれだけ影響力が大きいことを意味します。
私は試合の映像をテレビで見ましたが、その闘利王選手を見た時には思わず鳥肌が立ちました。
勝つことに対する飢え、勝負に徹して戦う姿勢には、ある種の狂気のようなものを感じたからです。
実際に短期間でチームを変える裏には、それだけのものがあるのだと思います。
この狂気とも取れるようなエネルギー、姿勢というのはリーダーにとっては必要なことだと言えるでしょうね。
ここでは誤解のないように狂気について補足をしておきます。
一般的に狂気というと字面の通り「狂った状態」「常軌を逸した状態」として、正気の対になるものとして使われることが多いと思います。
それゆえに狂気にはプラスのイメージも少ないかもしれません。
その一方、数日前にはこのブログで哲学に関することを記しましたが、ソクラテスなどはこの狂気については良きものの源泉と捉えています。
それは狂気というものを「日常の世界を超え出た感性の在り方」として定義をしているからです。
日常の世界を超え出た感性というのは、文字通り日常の枠外へ思考や感情、行動が飛び出していくものだと言えます。
それは人とは違う感じ方ができるとか、それが研ぎ澄まされている、あるいは人よりも一歩先が見えるとか、様々な形があると思います。
こうしたものが伴ってこそ、はじめて現状の立ち位置から物事を前に進めることができるので、そのために狂気が原動力になるというのは頷けるところでしょう。
こう考えると閉塞した状況を打破するための狂気にも合点がいきます。
もちろん闘利王選手について言えば、こうした意味の狂気だけではなく、常軌を逸したまでの闘争心が周囲を鼓舞しているのも確かですが(笑)
いずれにせよ、リーダーには日常を超え出た感性としての狂気は大切なものだと思います。
そこではサッカーのJリーグで18試合も勝利から見放されていた名古屋グランパスに勝利をもたらした立役者でもある闘利王選手に触れたと思います。
闘利王選手の勝利に対する貪欲さ、戦う姿勢、強烈な自己主張とリーダーシップには卓越したものがあります。
実際にグランドに立つ1人が変わっただけで、チームに変化をもたらせるわけですから、これはそれだけ影響力が大きいことを意味します。
私は試合の映像をテレビで見ましたが、その闘利王選手を見た時には思わず鳥肌が立ちました。
勝つことに対する飢え、勝負に徹して戦う姿勢には、ある種の狂気のようなものを感じたからです。
実際に短期間でチームを変える裏には、それだけのものがあるのだと思います。
この狂気とも取れるようなエネルギー、姿勢というのはリーダーにとっては必要なことだと言えるでしょうね。
ここでは誤解のないように狂気について補足をしておきます。
一般的に狂気というと字面の通り「狂った状態」「常軌を逸した状態」として、正気の対になるものとして使われることが多いと思います。
それゆえに狂気にはプラスのイメージも少ないかもしれません。
その一方、数日前にはこのブログで哲学に関することを記しましたが、ソクラテスなどはこの狂気については良きものの源泉と捉えています。
それは狂気というものを「日常の世界を超え出た感性の在り方」として定義をしているからです。
日常の世界を超え出た感性というのは、文字通り日常の枠外へ思考や感情、行動が飛び出していくものだと言えます。
それは人とは違う感じ方ができるとか、それが研ぎ澄まされている、あるいは人よりも一歩先が見えるとか、様々な形があると思います。
こうしたものが伴ってこそ、はじめて現状の立ち位置から物事を前に進めることができるので、そのために狂気が原動力になるというのは頷けるところでしょう。
こう考えると閉塞した状況を打破するための狂気にも合点がいきます。
もちろん闘利王選手について言えば、こうした意味の狂気だけではなく、常軌を逸したまでの闘争心が周囲を鼓舞しているのも確かですが(笑)
いずれにせよ、リーダーには日常を超え出た感性としての狂気は大切なものだと思います。
by biz-365
| 2016-09-12 19:46
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