2016年 07月 05日
7月5日(火):学習開始時期の低年齢化は必ずしもプラスにならない |
本日の日経新聞には「広島でIT教育熱 幼稚園からプログラミング」と題した記事がありました。
内容としてはパソコンを使ってプログラミングやものづくり学ぶ専門学校が相次ぎ開講している旨を報じたものです。
その背景にあるのは2020年には小学校でプログラミングの教育が必修化されることを受けてのことだと思います。
それを受けて広島では県もこの流れを後押ししているとのことですね。
そして小中学生だけではなく、幼稚園児も対象にした教室が広がっているのが現状のようです。
これに関していえば、私はいささかクエスチョンな部分がありますね。
日本では何らかの技能を習得しようとする場合、単純にその開始時期が低年齢化する傾向が見受けられます。
ただ、開始時期が早まることが常に意味をなすわけでもない、というのが私の考えです。
例えば小学校でプログラミングを学ぶ際、入口としては子供たちがある程度の楽しみをもってそこに着手できるように十中八九、簡単なゲームやアニメーションといったものを初期の題材にすると思います。
では、これをプログラミングによって設計しようとするとき、このようなゲームで遊んだことがない人間にそれを楽しんで出来るかどうかですね。
遊ぶものを設計する側に立つのなら、自分で遊ぶ側に立ったことがなければ、それは難しいだろうと私は感じるわけです。
そうであるならば、プログラミングを学ぶ年齢をそのまま引き下げていくのではなく、将来的にそれをする前提であれば、その前哨段階においてはユーザー側に立って遊ぶ、触れるというプロセスを踏む方が、意味があるのではないかと考えます。
自分で楽しんだ経験があるからこそ、どんな内容であれば楽しいかが分かり、楽しいものを設計する回路がアタマにできる面が大きいですからね。
もっといえばプログラミングというものは「言語」と「論理」です。
文字通りプログラミング言語を用い、どのような仕様にするかを論理構造として設計していくものです。
これは技能でありながらも、何かを具現化する際のツールです。
今後の社会の在りようを考えれば、それを学んでいくことも時流に沿ったものかもしれませんが、皆で学んでいけば当然ながらその技能はコモディティ化したものになるのが必然です。
世界を見渡せばインドのように優秀なエンジニアが山ほどいる国だって幾つもあるわけで、このプログラミング必修化が個人や国としての競争力の源泉にはなりえないでしょう。
なんせAIやロボットの普及が進めば、自分の作りたいものを指示しさえすれば、それをプログラミング言語に変換して入力をしてくれるプログラミングロボットだって、出来てくるでしょうからね。
そうなったときに違いを生むものは何か、です。
それは「プログラミングができます」ということではないわけですね。
ユーザーが求めるものを察知し、それをどのような商品やサービスとしてアウトプットをするのかを描き、プログラムを構想できる人でしょう。
そのようなことを考えれば際限なくプログラミング学習の年齢を引き下げるよりも、物事を捉える観点を養い、想像力をかきたてるような経験を数多くする場を設けることにも目を向けるべきではないかと思います。
以上、昨今の風潮に対する独り言までに。
内容としてはパソコンを使ってプログラミングやものづくり学ぶ専門学校が相次ぎ開講している旨を報じたものです。
その背景にあるのは2020年には小学校でプログラミングの教育が必修化されることを受けてのことだと思います。
それを受けて広島では県もこの流れを後押ししているとのことですね。
そして小中学生だけではなく、幼稚園児も対象にした教室が広がっているのが現状のようです。
これに関していえば、私はいささかクエスチョンな部分がありますね。
日本では何らかの技能を習得しようとする場合、単純にその開始時期が低年齢化する傾向が見受けられます。
ただ、開始時期が早まることが常に意味をなすわけでもない、というのが私の考えです。
例えば小学校でプログラミングを学ぶ際、入口としては子供たちがある程度の楽しみをもってそこに着手できるように十中八九、簡単なゲームやアニメーションといったものを初期の題材にすると思います。
では、これをプログラミングによって設計しようとするとき、このようなゲームで遊んだことがない人間にそれを楽しんで出来るかどうかですね。
遊ぶものを設計する側に立つのなら、自分で遊ぶ側に立ったことがなければ、それは難しいだろうと私は感じるわけです。
そうであるならば、プログラミングを学ぶ年齢をそのまま引き下げていくのではなく、将来的にそれをする前提であれば、その前哨段階においてはユーザー側に立って遊ぶ、触れるというプロセスを踏む方が、意味があるのではないかと考えます。
自分で楽しんだ経験があるからこそ、どんな内容であれば楽しいかが分かり、楽しいものを設計する回路がアタマにできる面が大きいですからね。
もっといえばプログラミングというものは「言語」と「論理」です。
文字通りプログラミング言語を用い、どのような仕様にするかを論理構造として設計していくものです。
これは技能でありながらも、何かを具現化する際のツールです。
今後の社会の在りようを考えれば、それを学んでいくことも時流に沿ったものかもしれませんが、皆で学んでいけば当然ながらその技能はコモディティ化したものになるのが必然です。
世界を見渡せばインドのように優秀なエンジニアが山ほどいる国だって幾つもあるわけで、このプログラミング必修化が個人や国としての競争力の源泉にはなりえないでしょう。
なんせAIやロボットの普及が進めば、自分の作りたいものを指示しさえすれば、それをプログラミング言語に変換して入力をしてくれるプログラミングロボットだって、出来てくるでしょうからね。
そうなったときに違いを生むものは何か、です。
それは「プログラミングができます」ということではないわけですね。
ユーザーが求めるものを察知し、それをどのような商品やサービスとしてアウトプットをするのかを描き、プログラムを構想できる人でしょう。
そのようなことを考えれば際限なくプログラミング学習の年齢を引き下げるよりも、物事を捉える観点を養い、想像力をかきたてるような経験を数多くする場を設けることにも目を向けるべきではないかと思います。
以上、昨今の風潮に対する独り言までに。
by biz-365
| 2016-07-05 19:28
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