2016年 02月 12日
2月12日(金):時間管理で大切なこと |
本日は5期生でFBL大学を受講している自社社員の赤ペン課題を添削していました。
今回のテーマは「時間管理」だったのですが、言うまでもなく時間というのはこのうえなく大切な要素ですね。
時間とは誰しもに等しく与えられた経営資源であると同時に活動時間です。
男女や年齢、黒人や白人といった人種、そして宗教、さらには裕福であるとか、貧しいといった貧富も関係なく、1人の人に与えられる時間は等しく24時間です。
また過ぎ去ってしまった時間を後から取り戻すこともできないし、今日は20時間だけ使って、残りの4時間は明日に貯金するということもできません。
そしてお金を出したからといって、誰かの時間を買い取って1日30時間にすることもできません。
つまり、時間というのは「その人固有のものである」と同時に、「その瞬間だけのもの」なのです。
だから、この24時間をどう使うかといったことが結果を分ける要因、他者との間で差がつく要因になります。
それゆえに時間をどう有益に使うのかは、文字通りに自分の将来を左右しますね。
もっとも、このことは少し時間というものを意識したことがある人なら、誰もが分かっていることです。
しかしながら、分かってはいるけどいざ何らかの場面になると、やるべきことを先送りしてしまう、怠惰によって時間を無為にする、あるいは刹那的な満足を優先してしまう、といった人は数多いはずです。
もちろん人間なので常に時間に正確で厳密にやるべきことを遂行するだけの人と、いつも怠惰に過ごしているだけの人という区分けではなく、1人の人間のなかでこれらが入り混じり、結果としてどちらの比率が多いか、といったことですね。
この両者を分かつものは、認知的不協和が生じた際の対応の違い、考え方にあると思います。
認知的不協和について簡単に説明をしておくと、これは矛盾する2つの事柄を認知した場合に生じるストレス状態、及び自身の認知を変えることでそのストレス状態を逓減させ、納得させる心理的プロセスを指したものです。
今回の例で言うところの2つの矛盾する事柄とは、「成長したい、そのために時間を大切につかって課題克服に努める」といったものと、「そうはいっても、いま目の前にある時間や楽しさは大切でそれを優先しよう」という2点が挙げられますね。
これはどちらかを立てれば、もう一方が立たないという双方が同時には並び立たない会い矛盾するものです。
この矛盾状態に置かれると人間はストレスを生じるので、自分の選択と同時に自分なりの理由付けをして自らを納得状態にもっていきます。
刹那的な楽しさを優先し、「あの件は明日やればよいからな」と自分の心のなかでつぶやく人はいるでしょう。
本当にそれを明日にリカバリーして調整ができる人は良いですが、明日になったら明日になったで、また同じような理由付けをして刹那的な楽しさを優先してしまう人も多いですね。
また別な理由としては「いまという時間はかえってこない、いまが大切!」とばかりに、長期的に大切なことを疎かにする人もしばしばです。
一方、ここで長期のリターンを優先できる人、やるべきことを果たせる人は自分のなかに不協和が生じた際に、本来的に優先度の高いことに自分のなかで上手く折り合いがつけられる人ですね。
これは自己規律とも同義で、自己規律が高い人は例外なくここでの折り合いの付け方がしっかりできる人だと思います。
日々の仕事や生活をしていれば、自分の「やるべきこと」と「やりたいこと」の狭間で認知的不協和を抱く瞬間は幾らでもあります。
その際に自分のなかでどのような理由付けと選択で折り合いをつけるか、その積み重ねこそがその人を形作っていくものです。
この認知的不協和における折り合いの付け方は間違いなくその人の「習性」というものが色濃く反映されます。
これは自分の周囲をはじめ、多くの人を見ていてそのように感じますね。
冒頭に触れた時間管理にあたっては、この認知的不協和の解消の仕方が大事なポイントでもあると思います。
今回のテーマは「時間管理」だったのですが、言うまでもなく時間というのはこのうえなく大切な要素ですね。
時間とは誰しもに等しく与えられた経営資源であると同時に活動時間です。
男女や年齢、黒人や白人といった人種、そして宗教、さらには裕福であるとか、貧しいといった貧富も関係なく、1人の人に与えられる時間は等しく24時間です。
また過ぎ去ってしまった時間を後から取り戻すこともできないし、今日は20時間だけ使って、残りの4時間は明日に貯金するということもできません。
そしてお金を出したからといって、誰かの時間を買い取って1日30時間にすることもできません。
つまり、時間というのは「その人固有のものである」と同時に、「その瞬間だけのもの」なのです。
だから、この24時間をどう使うかといったことが結果を分ける要因、他者との間で差がつく要因になります。
それゆえに時間をどう有益に使うのかは、文字通りに自分の将来を左右しますね。
もっとも、このことは少し時間というものを意識したことがある人なら、誰もが分かっていることです。
しかしながら、分かってはいるけどいざ何らかの場面になると、やるべきことを先送りしてしまう、怠惰によって時間を無為にする、あるいは刹那的な満足を優先してしまう、といった人は数多いはずです。
もちろん人間なので常に時間に正確で厳密にやるべきことを遂行するだけの人と、いつも怠惰に過ごしているだけの人という区分けではなく、1人の人間のなかでこれらが入り混じり、結果としてどちらの比率が多いか、といったことですね。
この両者を分かつものは、認知的不協和が生じた際の対応の違い、考え方にあると思います。
認知的不協和について簡単に説明をしておくと、これは矛盾する2つの事柄を認知した場合に生じるストレス状態、及び自身の認知を変えることでそのストレス状態を逓減させ、納得させる心理的プロセスを指したものです。
今回の例で言うところの2つの矛盾する事柄とは、「成長したい、そのために時間を大切につかって課題克服に努める」といったものと、「そうはいっても、いま目の前にある時間や楽しさは大切でそれを優先しよう」という2点が挙げられますね。
これはどちらかを立てれば、もう一方が立たないという双方が同時には並び立たない会い矛盾するものです。
この矛盾状態に置かれると人間はストレスを生じるので、自分の選択と同時に自分なりの理由付けをして自らを納得状態にもっていきます。
刹那的な楽しさを優先し、「あの件は明日やればよいからな」と自分の心のなかでつぶやく人はいるでしょう。
本当にそれを明日にリカバリーして調整ができる人は良いですが、明日になったら明日になったで、また同じような理由付けをして刹那的な楽しさを優先してしまう人も多いですね。
また別な理由としては「いまという時間はかえってこない、いまが大切!」とばかりに、長期的に大切なことを疎かにする人もしばしばです。
一方、ここで長期のリターンを優先できる人、やるべきことを果たせる人は自分のなかに不協和が生じた際に、本来的に優先度の高いことに自分のなかで上手く折り合いがつけられる人ですね。
これは自己規律とも同義で、自己規律が高い人は例外なくここでの折り合いの付け方がしっかりできる人だと思います。
日々の仕事や生活をしていれば、自分の「やるべきこと」と「やりたいこと」の狭間で認知的不協和を抱く瞬間は幾らでもあります。
その際に自分のなかでどのような理由付けと選択で折り合いをつけるか、その積み重ねこそがその人を形作っていくものです。
この認知的不協和における折り合いの付け方は間違いなくその人の「習性」というものが色濃く反映されます。
これは自分の周囲をはじめ、多くの人を見ていてそのように感じますね。
冒頭に触れた時間管理にあたっては、この認知的不協和の解消の仕方が大事なポイントでもあると思います。
by biz-365
| 2016-02-12 19:54
|
Comments(0)