2015年 07月 16日
7月16日(木):衆知を活かす |
昨日はクラブが休館日ながら、朝の8時30分から自社スタッフとクラブ運営に関するディスカッションをしていました。
そこでは自分たちが目指しているクラブ像や提供すべき価値についての話をしていたのですが、非常に有意義な時間だったと思います。
話の内容は中長期的に取り組むべき「重要性」の高い事柄が対象でしたが、それに対して建設的・発展的なディスカッションができたからです。
もちろん、今回の時間のみならず今後も継続的にディスカッションを重ねていくことになりますが、少なくとも今後に向けたイメージとしての絵と方向性はハッキリと見えたし、それが共有できました。
特に改善していくべき事柄に対して、「どうするべきか」という方法論ではその根底にある基本的な考えが完全に定まったと思います。
ここで詳細に触れるのは控えますが、自社のなかにある別の事柄に当てはめてそれを考えてみることにしたのです。
そうすると対象としている事柄の各種数値が現状のようになっていることも合点がいくし、どうするべきかの方法論もハッキリと見えてくることになりました。
もともと社内では馴染みがあるものに置き換えて考えたこともあり、それぞれの中ではストンと腹落ちする感じがありましたね。
このあたりは私たち特有の一種の企業文化がもたらす産物かもしれません。
今回、このような意義ある話が出来たのは明確な理由があります。
それは各自のなかで「問題認識が共有できていたこと」とそれぞれが「自分の明確な考えをもって臨んでいたこと」です。
まず共通の問題認識があるのとないのとでは、ディスカッションをする際のスタートラインが天と地ほどに違います。
これは事前にそのことを共有していた点もあるし、各自が対象となっている事柄に対して問題意識を強めていた背景がありますね。
そして強い問題意識があるからこそ、必然的にそこから自分なりの考え・解決策に転じていくことになります。
このようにして各自が自分なりの考えを持って参画していると、当然ながらディスカッションは良好な対話となって、アウトプットの質は掛け算に向かいます。
実際に社員たちの話を聞いて私も「なるほどな」と思うところがあったし、先に記した通りに方向性を見出す糸口にもなりました。
自分のアタマだけで考えていたのでは間違いなくそこには至らなかったでしょう。
その意味で、やはり衆知を集めることは大事なことだと思います。
ただ衆知を集めるに値するのは条件があります。
それは前述したように問題認識の共有や自分なりに考え抜いたものがあってこそですね。
そういった前提と対話によってコ・クリエーションするからこそ、それぞれの思考が衆合知になりえるのだと思います。
自社で言えば、このような状態が常となるように今後も意識をしていきます。
そこでは自分たちが目指しているクラブ像や提供すべき価値についての話をしていたのですが、非常に有意義な時間だったと思います。
話の内容は中長期的に取り組むべき「重要性」の高い事柄が対象でしたが、それに対して建設的・発展的なディスカッションができたからです。
もちろん、今回の時間のみならず今後も継続的にディスカッションを重ねていくことになりますが、少なくとも今後に向けたイメージとしての絵と方向性はハッキリと見えたし、それが共有できました。
特に改善していくべき事柄に対して、「どうするべきか」という方法論ではその根底にある基本的な考えが完全に定まったと思います。
ここで詳細に触れるのは控えますが、自社のなかにある別の事柄に当てはめてそれを考えてみることにしたのです。
そうすると対象としている事柄の各種数値が現状のようになっていることも合点がいくし、どうするべきかの方法論もハッキリと見えてくることになりました。
もともと社内では馴染みがあるものに置き換えて考えたこともあり、それぞれの中ではストンと腹落ちする感じがありましたね。
このあたりは私たち特有の一種の企業文化がもたらす産物かもしれません。
今回、このような意義ある話が出来たのは明確な理由があります。
それは各自のなかで「問題認識が共有できていたこと」とそれぞれが「自分の明確な考えをもって臨んでいたこと」です。
まず共通の問題認識があるのとないのとでは、ディスカッションをする際のスタートラインが天と地ほどに違います。
これは事前にそのことを共有していた点もあるし、各自が対象となっている事柄に対して問題意識を強めていた背景がありますね。
そして強い問題意識があるからこそ、必然的にそこから自分なりの考え・解決策に転じていくことになります。
このようにして各自が自分なりの考えを持って参画していると、当然ながらディスカッションは良好な対話となって、アウトプットの質は掛け算に向かいます。
実際に社員たちの話を聞いて私も「なるほどな」と思うところがあったし、先に記した通りに方向性を見出す糸口にもなりました。
自分のアタマだけで考えていたのでは間違いなくそこには至らなかったでしょう。
その意味で、やはり衆知を集めることは大事なことだと思います。
ただ衆知を集めるに値するのは条件があります。
それは前述したように問題認識の共有や自分なりに考え抜いたものがあってこそですね。
そういった前提と対話によってコ・クリエーションするからこそ、それぞれの思考が衆合知になりえるのだと思います。
自社で言えば、このような状態が常となるように今後も意識をしていきます。
by biz-365
| 2015-07-16 08:17
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